牧師室から

<2020年度>

10月14日(水)

 10月11日は神学校日でありました。日本聖書神学校から神学生が派遣され、説教を担ってくださいました。ご自分のお仕事を持ちながら、夜学の神学校で学んでおられます。大変な努力をされておられるわけでありますが、ご自分の努力もさることながら、多くの人々のお支え、祈りがあってのことであると、わが身を振り返り、つくづくと思います。そして何よりも、不思議な神の力と助けが、神学生を囲み、包み、守っているのだと思わずにはおれません。
 わたしも学生の時は、老体を物ともせずに、1時間半から2時間かけて、学校まで通っていたわけであります。帰宅は夜中の12時を回ることもありました。当時は、辛いとも、大変だなどとも感じず、当たり前のこととしての学びでありました。が、どうして卒業までの時をすいすいと過ごすことができたのか。今にして思えば、あり得ないことであり、不思議な、奇跡としか言い様がない、学びの時でありました。
 しかし、もう一度と言われれば、「できません」ときっぱりと答えるでありましょう。「わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける」(イザヤ49:15,16)。
神学生のすべての方々は、神の手のひらに刻みつけられている存在なのです。神の名を運ぶ器として選ばれ、いま、訓練を受けているのです。献身者のすべての方々の健康と学びが祝されますことを!神の守りを祈ります。

 

9月9日(水)

 先週末には九州の方に大型台風が上陸し、大きな被害をもたらしました。九州地方はこのところ災害に見舞われています。コロナ禍の中での災害であり、非常に心痛む事であります。被害からの復旧が一日も早く行われますように、通常の生活が一日も早く戻りますように、祈るのみであります。
 昨日は、自民党総裁を選ぶ選挙の告示がありました。相変わらず派閥の利権、各自の野心と欲望が全面に出ているかの候補者選びです。国民の声に耳を傾け、国民目線に立った政治を望みます。格差の中で、埋没している人々、貧しさの中であえいでいる方々が存在する現実を、福祉の必要性をしっかり見つめ、声を上げてくれる政治家はいないのでしょうか。
 絶望的な政治の世界から目を転じ、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」との聖書の言葉に耳を傾け、祈りを捧げたいと思います。そして、力弱く、体力もない者ではありますが、何をなすべきかを問いつつ、示されたなら、すぐに立ち上がる事ができるように、備えをしたいと思うのです。

 

8月16日(日)

昨日8月15日は終戦記念日でした。戦後75年を経ています。新聞欄には戦争の体験記などがここ数日間載っておりました。親、兄弟、親戚等の愛する方々を失った方々の魂の慟哭が文面から伝わってくものばかりでありました。戦争は終わってはいない。悲しみ、痛みは止むことなく続いているのです。
被爆者の消え去ることのない衝撃的な体験をようやく、ぽつり、ぽつりと語り始める年老いた人々の口は、あまりの悲しみのために、苦痛のために重いのです。
戦争は決して再び起こってはならない、核は廃絶されなければならない。世界はこれを知っているはずでありますが、世界の国々では未だに戦火がやまず、小さな力なき人々が犠牲を強いられています。
「主よ、平和の道具としてわたしたちをお使いください」との祈りを献げ、「歩ませてください、みあとに従い、希望に輝く 平和の道を」(讃美歌21-505,4番)と讃美したいと思います。

誰もが持つ弱さの中に現れれる神の驚くべき力をキリスト者に自覚させてください。祈り求める者に、上からの溢れる神の力をすっぽりと着せていただきたいと、小ささを自覚し、自分の弱さに嫌気がさしている牧師は、今日も切望しているのです。

 

7月25日(土)

コロナの感染拡大が止まりません。世界を取り囲む状況は大変厳しいものがあります。7月17日(金)には神奈川県に「神奈川警戒アラート」が発動されました。教会はどのような選択をすべきなのかと、神に祈り、主が道を示して下さることを願いながらの歩みであります。
今年も、豪雨が各地を襲い、コロナとの戦いの上に、さらなる苦しみが追い打ちをかけています。世界の政治的状況も不気味な動向を示しています。大国同士、ギクシャクとし、牽制し合っています。光が見えないような中にあって、「私の目にあなたは値高く、貴い」との主のみ言葉に励まされています。「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者」(イザヤ43:7)神がそのように、被造物に対して言われるのであるならば、大丈夫。必ずや、回復の時が来るでありましょう。いたずらに怖じけることなく、引くことなく、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ43:5)とのみ言葉を握りしめ、心を高くあげて歩んで行きたい!!



6月10日(水)

6月7日(日)の役員会において、緊急事態宣言解除に伴う、今後の礼拝再開に関する教会の方針が決まりました。会堂での信徒の皆様との礼拝を6月14日から再開することと致しました。2ヶ月ぶりの教会会堂での礼拝再開です。早速このお知らせを信徒の皆様に書面をもって送信、郵送させていただきました。当面は縮小礼拝となります。コロナの状況を見極めながらの礼拝再開となります。状況によっては、また、逆戻りの可能性も秘めています。非常に変動的なことになろうかと思われます。
教会は、三密を防ぐいろいろな努力を致します。役員の思いが一つとなり、一歩前に踏み出すこととなりました。神様のお導きを信じての決断です。「主の山に備えあり」。主から目を離さずに、共に進んで行きたいと願っています。

 

 

5月27日

政府の緊急事態宣言が解除されました。しかしながら、まだまだ油断できないコロナとの戦いが続きます。31日はペンテコステ礼拝ですが、横浜上倉田教会の一人礼拝は続きます。長い信仰生活の中で、初めての経験です。歴史を振り返るときに、このような大きな試練は度々起きていたことを思います。私にとっては初めての驚くべき歴史の一コマであります。戦争を体験なさったある牧師は、その時のことを思えば、コロナはそんなに驚くべき出来事ではない。とお話しされておりました。人類の英知が一つとなり、思いを一つに、コロナウイルスとの戦いに勝利することができますようにと祈るのみです。このために多くの戦いを強いられているすべての人々の上に、神様の憐れみを切に願います。主の平和がすべての人々の上にありますことを!耐えられない試練に遭わせることはないとの神の約束を信じて行きたいと思います。

 

5月10日(日)

 本日の礼拝から6月7日の礼拝まで、教会員は、各自ご自宅で礼拝をお守りいただくことに致しました。政府の緊急事態宣言延長を受けてのことであります。礼拝後に何人かの方々は、同時刻に神の前に礼拝を捧げたことをお知らせくださいます。本当にそれは嬉しく、感謝なことであり、多くの励ましと慰めとを受けております。
 私は一人で礼拝を守っておりますが、奏楽をし、賛美歌を歌い、祈り、説教をし、ご自宅で礼拝を守っていてくださる方々を思い、その方々に向かい、最後の祝祷を祈るのです。主が共におられる、なんとも恵まれた、祝されたひとときを持たせていただいております。
 コロナの影響は甚大で、世界中で多くの命が失われています。神の憐れみを切に祈るものであります。経済の破綻、貧困、子供たちの教育、等々、心配すべきことが山積しています。一日も早い終息をすべての方々と共に祈って行くことを願っております。

 

4月12日(日)イースター礼拝

 本日は、主のご復活を覚えて捧げられるイースター礼拝です。しかし、コロナウイルスの影響で、横浜上倉田教会は、本日の礼拝から、5月3日(日)の礼拝まで、各自ご自宅での礼拝を守っていただくことと致しました。しかしながら何十年も続いてきた礼拝の灯火を消してはならないとの思いで、牧師は、一人で、いつものように礼拝を守ります。そのような覚悟でおりましたが、感謝なことに、3人での礼拝となりました。
 豊かな主の恵みを覚えて、感謝致しました。一日も早い、コロナウイルの終息を願っています。病に苦しんでおられる方々、医療従事者とその御家族、主にある兄弟姉妹の健康等、祈らずにはおれません。
 全世界の祈りが神の御許に立ちのぼり、神の憐れみが注がれますことを願っています。何でもない日常生活が普通の生活が、世界の人々の元に一日も早く訪れますことを祈ります。

 

1月25日(土)

 年が明けてから、早いもので、今日は25日です。今年は1月1日に親族が我が家に集まり、大変楽しい時を過ごしたのですが、なんと次の日から熱が続き、土曜日まで、食べられず、ひたすら寝ておりました。まさに寝正月でした。しかし、5日の聖日には説教をしなければならず、熱の下がったのをいいことに教会に出席し、役員会までさせていただきました。
 その後、なかなか元の調子を取り戻せずに、いやでも年を感じております。しかし、食欲も出てきており、睡眠も十二分にとるようにしていますので、体もしっかりと回復傾向にあることは感謝なことです。
 ご奉仕をさせていただくために、もっと、いつも元気でいたい。そのように願うのですが、どうもそのようにはいかないようです。しかしながら、「私の恵みはあなたに十分だ」という主の声が聞こえてくるのです。私は今年も、老いを感じ、いろいろな弱さを露呈しつつの歩みでありましょう。しかし、主に赦しを乞いつつ、教会員に祈っていただき、十分な主の恵みを数えながら、歩んで行きたいと思います。